特別インタビュー

カツオ一本釣船に人生をかける
森下靖の想い

仲間でありライバル。超えないといけない存在が近くに

カツオ漁船は年々減ってきているとはいえ、日本には50隻ほどが毎年しのぎを削っている。その中で、全国近海カツオ一本釣り漁船漁獲高でトップを目指すには、超えないといけない存在がすぐ近くにいた。

2005年、2009年、2013〜2017年まで日本一を獲得していた明神 学武。

同じ会社にいながら、彼は「孤高の天才」と言われ、俺は「土佐暴れん坊」や「風雲児」と呼ばれていたよ(笑)漁に出ると、無線やスマホで連絡は取り合う会社の一員ではあるので、ライバルというより仲間ではあるんだけど、それでも学武を超えないとトップにはなれない。

37歳のときに年間約4億円を稼いで全国で5番目になり、2014年、2015年には全国2位まで俺も上り詰めることができた。そして、そろそろ上が見えてきたというタイミングで、人生のターニングポイントとも言える事件が海の上で起きたんだ。

「第183佐賀明神丸」 炎上沈没

「発電機が燃えています!」夜の帳が下りた真っ暗な海の上。

船員の大きな声とともに警報サイレンが鳴り響き、甲板を見ると「第183佐賀明神丸」は真っ赤な炎をあげていた。

幸い全員が救命いかだに乗り移れたが、燃えに燃えた船は風に煽られこちらに流れてきたんだ。このままじゃまずいと思い何人かが海に入り、手で救命いかだを押しながら方向を変えたけど、その間もマストが折れてきて、流石にこの時は死を意識したよな。

その後、救命いかだに再び乗り込み、海の底に沈んでいく明神丸を眺めていた。ただ、その時は不思議と悔しくて泣けてくるというより、これは何かの始まりかなという気持ちになっている自分にも気づくことができた。

2018年。ついに掴んだトップの座

仕事をがむしゃらにやっても、死ぬときは死ぬ。ある程度頑張ったら、やはり仕事は楽しまないとという気持ちの入れ替えはできていてた。

そして、日本一になるためには敵は相手ではない、自分がやるだけだとも。平常心を取り戻し、まずは自分に勝とうと決めた。

事故から2年後の2018年。いつもの年より多い4回くらいのまとまった休みをとるなどフル稼働ではなかったから、普段ならその休んでいる時に他の船の成績が気になっていたはず。でも、この年は他を見ることはしなかった。自分がやるだけだと。

そして夏が終わり9月頃には一本釣り漁船漁獲高で一番が確定。

いやぁ嬉しかった。だけど、トップになったらなったで、次はどうするかと考えている自分がいた。周りも2連覇しろと言うからね(笑)。

ただ、妻が言ってくれた「他はどうとか関係なく、あんたの船がやるだけ」という言葉が一番しっくりきているので、自分を見失わず、今は平常心を大切にしたい。

2019年は新しい船の導入も決まっている。自分がやることに集中し、それが結果になればまた次のステージへ行けるはずだ。

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