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代表者インタビュー 成り立ちとこれから 2

Interview with the PresidentDATA 2018/04/19

『明神丸』1号店の店長に 『明神丸』1号店の店長に

    海から丘に上がり新たな仕事を探しはじめると、高校中退で船舶の資格くらいしか持っていない私ができることは限られていました。
    結局、身内を辿って工場に入り内勤を経験したのですが、17時に退社しても家で何をすればいいのかわからない。
    給与も漁師の時の数分のーになり、今度は毎日の生活に張り合いがなく悩むことになったのです。
    そんな時、1973年に祖父が創業した『明神水産』で、新たに飲食業を手掛けるべく『明神食品(後に明神丸に社名変更)』を設立する話が持ち上がりました。
    具体的には、今では飲食店約40店舗が軒を連ね、毎日のように多くのお客様で盛り上がっている『高知ひろめ市場』のアンテナショップで、鰹のたたきを売る計画です。
    「食」に関わる仕事をしてみたかったこともあり、手を挙げたところ、1号店である『明神丸』の店長を任されることになりました。

オープン当初のひろめ市場店

オープン当初のひろめ市場店

2004年のひろめ市場店

2004年のひろめ市場店

腹をくくり、私がやるしかないと覚悟 腹をくくり、私がやるしかないと覚悟

    しかし、私自身ビジネスの経験がなかったどころか、はじめての店長業務で、しかも当時の『明神丸』には飲食業界経験者が皆無。料理や店舗運営のノウハウもなければ、厨房設備も不十分で、店を開くタイミングで冷蔵庫や魚をさばく調理台が必要だと気づいたほど……。
    それでも、オープンが5月のゴールデンウィークだったこともあり、はじめはまさかの大盛況だったのです。
    売上が1日で20万円ほどになり、意外と飲食ならいけるのではと思ってしまいました。現実は甘くないと、その後わかるのですが。大型連休が終わると次第に客足が遠ざかり、平日は売上がほとんどない日も。
    かと言って、弱音を吐きたくても、相談する人や助けてくれる人もいない。
    もう、ここで腹をくくりましたね。誰かにやってもらうのではなく、私がやらなければ、と。
    限られた設備の中で、いかに工夫して美味しい料理を提供するかを考え、独自に他店を偵察したり、コスト計算などを繰り返して経費削減に努めたり。
    それでもわからないことは、飲食業に携わる知人などにどんどん尋ねました。その結果、数ヶ月で売上が上がっていき、経営を軌道に乗せることができたのです。

店長時代の森下社長

店長時代の森下社長

2007年のひろめ市場店

2007年のひろめ市場店

試行錯誤しながら生まれた明神丸名物の元祖藁焼き鰹塩たたき 試行錯誤しながら生まれた明神丸名物の元祖藁焼き鰹塩たたき

    大変な時期もありましたが、今では東京も含め多店舗展開をするまでに事業は成長し、私も経営を担う立場になりました。その過程でできた『明神丸』らしさは、2つあります。
    1つが土佐名物・鰹の「藁焼きたたき」。きっかけは、高知のとある店に同級生と晩御飯を食べに行った時、鰹の藁焼きたたきが格段に美味しくて、これを『明神丸』でもやりたいと思ったことです。
    どうやったら適正価格でお客様に提供できるかを試行錯誤し、やっと完成したスタイルが『高知ひろめ市場』にて行う、鰹の藁焼きパフォーマンス。
    今では、『明神丸』のショーとして、お客様の目の前で見せることでとても喜んでもらえています。
    藁焼きにすることで、味もやっぱり美味しいし、スタッフもお客様から注目を浴びてやりがいにつながるし、結果的に売上も増えました。

藁で豪快に焼く鰹たたき

藁で豪快に焼く鰹たたき

2011年のひろめ市場店

2011年のひろめ市場店